2017年02月03日

ひっそりと、橿原神社

2月3日(金)

英彦山と云えば、銅鳥居や奉幣殿など大きな建造物などに眼が行きがちですが
地味系だけども、その来歴は深い橿原神社を紹介します。

橿原神社と云ってもピンとこないかも知れませんが、別所駐車場から200メートルほど
国道を登ると右に入る道があり、すぐ左の林の中にそれはひっそりとある。

・写真をクリックすると、拡大されます。

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鳥居を見上げます。
以前は樹齢を重ねたカエデやイチョウの古木があり、もっと鬱蒼としていたが、台風被害で
それらは倒れてしまい、辺りの様相は変わってしまった。

境内に入ってみよう。

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簡素な造りの社殿と、板碑が立ち並んでいます。
板碑とは、英彦山では自然石板碑ともいわれるもので、主に供養のために建立した塔婆の
一種です。

この橿原神社は山内別院の一つで、かつては惣寺院と云われ、山伏の秋峰入りでは第一番目の宿にあたる。

英彦山史のバイブルともいえる、建保元年(1213)に記された「彦山流記」によると、当時は
五間(約9m)のこけら葺きのお堂だった。
そして丈六(約4,85m)の仁王像が安置され、本尊は不動明王と記録されています。

明治維新により橿原神社と改称。
祭神は神倭磐余彦命(かんやまといわれひこのすめらみこと・神武天皇のこと)。
七尺五寸(約2m)の白色不動尊が安置されていたが、明治44年(1911)年の大火で焼失した。

かつては毎月28日には、人々が集い「不動講」が開かれていたそうです。

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同じ敷地内にある、三日月池。
いつも静かな水面をたたえ、ここだけ時間が止まったような空間だ。

文化14(1817)年以降に描かれた「英彦山図」には「月輪池」と記されており、いつ頃から
今のように三日月池と称されるようなったかは不明であり、惣寺院が橿原神社と改称するとともに、
池の名称も変化したかもしれない。
また、この池は惣寺院の庭園の一部だったとも考えられるそうな。

池の中央に三つの石の祠が安置されており、ここには英彦山三峰の神々が祀られている・・、と
思いがちですが、「英彦山図」には描かれていないことから、詳細は不明です。

ひっそりと、英彦山の昔を今に伝える橿原神社です。

★ つれづれに一句

  神域は 迷路が多し 冴へ返る   yamahiko
     ・しんいきは めいろがおおし さえかえる

※ 先日お知らせした、駐在所に届けられたカメラは、無事に落とし主の手元に
  戻ったそうです。

本日のおまけ。

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暮れる寸前の群青色の空に、宵の明星と、三日月。 






posted by やまひこ at 00:00| 史跡ご案内