2017年02月05日

石仏と語らう、鳥屋山(645Ⅿ)へ

  2月5日(日)

近場の山はいつでも行けるから・・、などと考えがちでこれはいかん。
鳥屋山へ、登ろう。

朝倉市の鳥屋山(645Ⅿ)は、地元でも秘境と云われている「佐田」にあり、そこを通る
朝倉街道は、英彦山参拝道として重要な拠点だったと云い、英彦山から登山口まで車で僅か
1時間という距離だ。
という訳で、3日(金)は鳥屋岳へ。

・写真をクリックすると、拡大されます。

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放射冷却で冷え込む中、市営キャンプ場駐車場に到着したら気温は氷点下2℃、これは英彦山より
寒いんじゃないかと思うほどだ。

鳥屋山は山城跡で、英彦山山伏の行場としても、また初代の英彦山座主が築いた「黒川院」の
警備防衛の役割も果たしていたのでは、などとも云われている。
しつこいようですが(?)、今日もこちらをお読みください。
http://hikosan.sblo.jp/archives/20150113-1.html

また、弘法大師信仰の山としても知られている。

奥の院へ、の標識に従って登山開始。

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登り始めてすぐに道は分かれている、これが男道・女道の分岐点だ、鎖場のある男道を
行くことにしよう。
といっても峻険な登りはすぐに終わり、石仏が迎えてくれるなだらかな道になる。
竹林を過ぎて、しばらくはスギとヒノキの鬱蒼とした中を進むと峠に出る。

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4合目に到着、木漏れ日に鎮まる仏たちです。
ここに来たら誰しもがカメラを向けたくなるような、撮影タイムも兼ねてチョット休憩。

連れ合いは石仏オタクだ、撮りながら前後に回り込んでは奉納年号などを見ている。
一体一体の台座は半ば土に埋もれてしまっているが、よくよく見たらそれぞれに寺号が刻まれており
それが長年の風雪で読み取れない。
近在の寺が長い年月をかけて石仏を安置し、山全体を八十八か所霊場になぞらえたのだろうか。

これから山頂に近づくにつれ、石仏が多くなりその度に立ち止まり撮影タイムという事になったので
時間はどんどん過ぎてゆくが、まぁそれも好いだろう。

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階段が整えられた登りが続き、八合目に差し掛かると道が分岐して、ここも鎖場の方を行こう。
ジグザグの登りを終えたら、明るい尾根歩きで木立の間からの遠望も効き始めた。

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鳥屋山山頂に到着。
祠には山伏の参拝の証でもある「碑伝」が納められていて、今も根強い信仰があることが
分かり、真新しい賽銭も供えられていた。

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英彦山の、遠望です。
その昔英彦山山伏たちは、ここから法螺貝を吹き鳴らしたかもしれない。

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筑紫平野と耳納連山の眺め。
奥には長崎県の(!)、多良岳、経ヶ岳方面の稜線まで見えている。

奥の院へ行こう。
尾根を東にたどり、小さなアップダウンを行くうちにさらに石仏は増えてくる。
ここでほんの少しですが、鳥屋山石仏コレクションを。

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こうやって奥の院へ導かれるんだな・・、などしみじみとなっているうちに女岩、男岩へ
立ち寄ることをすっかり忘れてしまっていた。

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奥の院は木立に囲まれ昼なお暗く、辺りには多くの石塔、そして石仏たちが鎮まり、
山の昔を今に伝えている。

★ つれづれに一句

  逝きし世を 今に伝へて 山眠る   yamahiko
    ・ゆきしよを いまにつたえて やまねむる

下山は、往路を戻ることにしよう。
鳥屋山は歴史に浸り石仏たちと語らう、わびさび山だった。

登山口近くの安倍氏がその基を築いたとされる都高院へは立ち寄らずに、次へ向かいました。

本日のおまけ。

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咲き始めていた、サツマイナモリ。



posted by やまひこ at 00:00| 山行記録