2017年02月06日

朝倉市佐田高木神社

2月6日(月)

昨日の続きです。
鳥屋山に登るからには、ここは絶対に訪ねたいと思っていた佐田集落の「高木神社」です。

このブログでたびたび登場する、高木神社ですね。
話は遡り平安時代の頃、英彦山の神領である七里四方を守護する為に、拠点が設けられ
その数四十八社、それは大行事社と称されており、明治になり高木神社と改められました。
当時は政務も取り仕切るような、地域の中心機関でもあったようです。

・写真をクリックすると、拡大されます。

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鳥居を見上げます、境内に入ってみよう。

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案内版をお読みください。
英彦山参拝の折り、道行く人々が旅の無事を祈り、一休みしたりした賑わいがあったことが
偲ばれます。

明治22年(1894)4月1日に佐田村と黒川村が合併して高木村が発足します。
新村発足の際にこの高木神社から名前をとって高木村としたとの事で、それだけ地域に
親しまれていたという事でしょう。

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神牛と神馬が奉納されている境内をグルリと周り、拝殿と神殿を見る。

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何気なく覗き込んだ拝殿の掲げられた数々の武者絵と、花鳥が描かれた格子天井には
ただ驚くばかりでした。
それぞれ色は褪せているが、こういう鄙びた山里の社殿のしつらえにしては、絢爛な造りであり
格の高さが分かるというものです。

そして、こんな話も。
康平(1062)年に東国で起こった厨川(くりやがわ)の戦いに敗れた安倍貞任の弟宗任の子である
三郎実任が鳥屋山中にとりでを築いたと伝えられていて、その続きがあるのです。
ここ高木神社には安倍貞任より13代を現人神として祀られていたと云い、貞任の末裔は後に地区の
庄屋を務める重要な立場になっていたそうな。

立派な武者絵の奉納が多いのも、そういう理由だったのかな・・とも思いました。

★ つれづれに一句

  紐解くは 里の古来や 春立ちぬ    yamahiko
    ・ひもとくは さとのこらいや はるたちぬ



posted by やまひこ at 00:00| 史跡ご案内