2017年03月30日

耶馬溪・古羅漢へ

3月30日(木)

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久しぶりの、耶馬溪・古羅漢です。

異様な岩稜の山容に、興味深々になりますよね。
古羅漢の景と呼ばれる景勝地で、山頂近くの岩窟には昔の堂宇が残り、霊場でもあります。

古羅漢の呼び名は、山上に羅漢様が並んでいる様相からつけられたからであり、その昔
此処にある石仏が一夜のうちに羅漢寺へ飛び移ったといわれる伝説の地でもあります。

日田耶馬英彦山国定公園の一角という事もあり、英彦山にも通じる岩質や、何よりも霊場として
同じ空気・匂いを感じるのです。
そして、英彦山から野峠を下りほんのお隣と云う距離なのが好い。

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まず、由来書きをお読みください。

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登り始めると石仏・石塔など石造物が至る所にあり、それが好きな者には応えられない
スポットでもあります。
急な石段を上ると、通り窟のようになっていて羅漢が立ち並んでいる。

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英彦山の梵字岩付近にはかつて通り窟があったというが、このような造りだったのだろうかと
想像したりする。
中央の堂宇には、室町時代作の観世音菩薩坐像が安置されているがチラリとしか見えない。
ここを進むと、下からも見えていた「天人橋」だ。

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天人橋の、アーチ越しに見た景色。

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鎖伝いの細い道を行くと、山肌に宝塔が整然と鎮まっているのが見える。
その昔豊前・豊後一帯には、「ウサ・ラカ・ヒコ・クボ」と云う言葉が伝えられていたそうな。
それは一生のうちに、宇佐神宮・羅漢寺・英彦山・求菩提山を参拝すると、後生の安泰が約束されると
いうもので、それを心のよりどころとしていたという。

人々の深い想いで、踏みしめられている道だ。

★ つれづれに一句

  春愁や 祈りの道を 行くほどに   yamahiko
    ・しゅんしゅうや いのりのみちを ゆくほどに

などなどを考えながら登り詰めた岩上に、鎮座している国東塔。

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風雪ですっかり苔むしている国東塔に、国東六郷満山を思い宇佐・英彦山・更に求菩提山との
繋がりへと想像は膨らむばかりだ。

眼下にはのどかな田園風景が広がり、ここで一休み。

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一巡りして、天人橋まで戻ってきた。

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ゲンカイツツジは例年より開花は遅いようでまだ固い蕾、シュンランも花の支度中で
落ち椿だけが彩りを見せていた。
ちょっとディープな、史跡巡りを楽しむ耶馬溪・古羅漢でした。










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2017年03月25日

日田市鶴河内の大行事社へ

3月25日(土)

英彦山の高木神社(大行事社)巡り、きょうは日田市鶴河内山田の大行事社です。

〜〜〜平安時代の頃、英彦山の神領である七里四方を守護する為に、設けられたその数四十八社、
それは大行事社と称されており、明治になり高木神社と改められました。
当時は政務も取り仕切るような、地域の中心機関でもあったようです〜〜〜

調べに調べて大体の場所は見当をつけて行ったので、迷うことなくピタリと到着しました。

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英彦山を出て、東峰村、宝珠山を抜け、日田へ向かう県道671号大鶴熊取線を行くと、下り坂になり
そこから右折した集落の中ほどにそれはあった。
山を背景にしてあまりにも景色にとけこみ、目の前に到着していながら一瞬分からずに、畑仕事を
していた村人Aさんに、「大行事社はどこですか〜?」、「あぁ、ほらそこだよ〜」。

鳥居の扁額には、まさに「大行事社」と刻まれている。

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本殿は静謐そのもので、周りには田んぼが広がっているが、まだ田起こしも始まっておらず
静かでのどかな風景だ。

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先ほどの村人Aさんが、他所からの参拝人が珍しいのか色々話してくれた。

「この神社は英彦山と深い縁があってね、昔は英彦山から山伏さんが来て、家毎に回っては
法螺貝を吹いて、それを頭にかざして(「貝伏せ」のことか?)くれてね・・・」。
おらが村の神社、として自慢げでもあるような口調に、聞いているこちらも嬉しくなる。

その英彦山から参りました、と答えると「よく来てくださった」と大いに喜ばれた。

それにしても、かつては英彦山の神領の津々浦々にまで檀家廻りがされていたことを、
地元の人から聞けたことが何よりの収穫でした。

ところで、県道の分岐点に建っていた石柱が気になりました。

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左側の方を懸命に読んでみると、どうやら道標かなと。
東西南北が頭に付いて日田市内の地名が書かれています。

東 三花村大字三和21町12間  西 朝日村大字二串28町33間
南 朝日村大字小迫15町18間  北 大鶴村大字鶴河内1里33町25間4尺
明治23年12月建設

他は読みこなすことはできないが、まさに道の基準となる地点を表しているようで、この一帯が
人や物の往来で賑わっていたことの名残のように思えるのです。

★ つれづれに一句

  読み難き 故事来歴や 春寒し   yamahiko
    ・よみがたき こじらいれきや はるさむし

本日のおまけ。

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カワラヒワ、黄色が鮮やかだ。
鳥たちも、賑やかになってくる頃。


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2017年03月09日

夜明の北山大権現へ

  3月9日(木)

いつも何気なく通っているところにも、調べてみたら英彦山にまつわる史跡があったり
するもので、今回はそういうお話です。
山国町からもらってきたガイドブックを見ていたら、日田市夜明地区には英彦山から分霊された
社がありそれは、かつて下毛郡耶馬溪一帯を治めていた中間氏一族の末裔が、子孫の繁栄を祈願した
もので、その名も「北山大権現」というらしい。

中間氏と云えば、その名を冠した「中摩殿畑山・991Ⅿ」があり山頂には、一族の英彦山信仰を
物語る祠が鎮座し、英彦山を遥拝することができる。
中摩殿畑山の記事は、こちらを。
http://hikosan.sblo.jp/article/62295789.html


〜〜〜〜この山は正確には「なかまどんのはたやま」という。地元の人もそう呼んでいるし、県の山岳連盟の
山名もそうなっている。このいわれは、仲摩殿の所領地という意味である。(中略)殿畑山の山頂には
八大竜王が祭ってある。これは雨乞いの神であり、灌漑治水の神でもある。仲摩郷の田畑を領有する
為政者にとって神々の信仰(山岳信仰)は欠かせないものであった〜〜〜〜。(山国町誌より)

とにかく、夜明の北山大権現へ行ってみよう。

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英彦山から東峰村を抜け、夜明三叉路へ国道211号を走ると右側にその駐車場はあり、もう正面に
鳥居が見えている。
到着して驚きでした!、この道は阿蘇方面の山行の折などに、もう何十回となく通っているがこういう
所があるとは、まったく気付かずに素通りしていたという事になります。

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鳥居には北山権現宮、安政2年12月吉日と刻まれており、自然石の参道をソロリと登って行くと
もう上には何やら石窟のようなものが見えている。
こういう時は足取りも軽くではなくて一歩づつ、鬼が出るか蛇が出るか・・、という心境になる。

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登っていくと参道の右側の岩壁に掘られた穴に石像が祀られており、これは弘法大師だそうです。
石窟に通じる岩肌には、足場もあり鎖も取り付けられているので行ってみることにしましたが、覗いて
みると朽ちたような地蔵が鎮座していて、「イボ地蔵」と云うそうな。
後世に、祀られたのかもしれない。

両側の岩面にはかつては願文などが刻まれていたのだろうが、風雪で消え去ったようで今は
まったく読み取ることはできない。

更に、石段を登って行こう。

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すると岩陰に、石塔や木造の社が見えてきました。
岩肌を掘った穴には祇園社といわれる社、そのまた右には猿田彦と思われる自然石も。
更に遠くの岩上には宝篋印塔らしきものがあり、一帯が手厚く整えられたことが窺がえます。

まだ先に進むとここが北山権現様のようで、なかなか険しい場所に祀られています。
それでも真新しい注連縄と、榊が供えられていることが嬉しい。

岩を穿ちそこに英彦山から分霊された社を創建した、中間氏の末裔たち。
中間氏の始祖と伝わる六郎衛門は、中津市耶馬渓にあった一ツ戸城城主で、天正15年秀吉の
九州平定後の後、紆余曲折を経てその子孫が夜明祝原村に移り住んだと言われます。
一族の英彦山信仰を、今に伝える北山大権現でした。

★ つれづれに一句

  権現の 昔を今に 春憂ひ   yamahiko
    ・ごんげんの むかしをいまに はるうれい


本日のおまけ。

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英彦山は、椿の里でもあります。
寒の戻りもようやくおさまりそうで、これで一安心〜。




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