2018年04月13日

大河辺窟、その周辺を歩く

4月13日(金)

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山頂を目指さない山歩き、今日は智室川沿いに登ってみよう。
にしても天気が良いですね、障子ヶ岳を遠望していますが、こうやって見ると整然とした
杉林が一つの景観をつくっています。


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鬱蒼とした林に入り川沿いに歩き始め、道はずいぶん荒れてしまっているが差し込む日差しの
明るさと、水音に励まされながらの行程です。
昨年の九州北部豪雨の影響も出ているのかも知れない、降り積もった枝や倒木に時々足を取られ
ながら、それでもヒトリシズカなどが見えてきてドンドン進もう。


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大河辺窟です。
軒のように大きくせり出した造りになっており、隣にも小さな窟がある。
英彦山の神領内にこのような修行窟が四十九あり、この大河辺窟は第三十一窟です。

その昔はご神体となるものが安置されていたんだろうが、明治の廃仏毀釈で廃棄されたのか
後世に盗掘されたのか、何もなくなっているのが少し侘しい。
山伏達が経を唱え、法螺貝を吹き鳴らしていた当時を偲ぶしかない。

さぁ、歩こう。


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滴りだけになっている滝。
冬の、氷結は見物だ。

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シイタケもあったよ、もちろん戴きました〜。

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途中から山は道連れで、太宰府からというグループと一緒になり、白岳へご案内することに。


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白岳山頂はこの時期、山サクラの絶景スポットになりちょうど見頃だ。
皆さんにも、喜んでもらえたようで好かった。


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木漏れ日の静けさの中で、ヒトリシズカの群落にも出会えたし。

★ つれづれに一句

  静かさを 一人静と 分かつ森   yamahiko
    ・しずかさを ひとりしずかと わかつもり

こんな花達にも。

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ショウジョウバカマ。

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ミツバコンロンソウ。

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コガネネコノメソウ。

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サバノオ。

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ハルトラノオ。

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シロバナネコノメソウ。

お疲れさまでした〜。







posted by やまひこ at 00:00| 史跡ご案内

2018年03月19日

文殊窟まで

3月19日(月)

昨日の続きのようになりますが・・、山頂を目指さない山歩きも時には面白い。
目標があるような、ないような、いつもは一直線に進む登山道をちょっと脇道に入ると、たちまち
英彦山の歳月に埋もれてしまったような空間だ。

昨日もそう、ちょっとこの道を行ってみよう。

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智室谷のいつもの石垣、ここは鬼杉や玉屋神社へ行き南岳を目指す時など、ただ通過するだけ
なのだが、かなり古びた標識のある文殊窟・学問社の方へいってみることに。
久し振りの、古道探訪です。

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苔むした石段が続いており、それも崩れたり途切れたりの荒れで、登山者の通りも少ないんだろうなと
思わせるような静けさだ。
途中に見上げるような大岩に差し掛かり、何やら願文のような文字が刻まれていて、よくよく見ると
そう古い時代のものではなさそうだな・・。

英彦山の大岩には注目だ、なにかが刻まれたりしているからなぁ。

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その昔、英彦山には「英彦山十谷」と云われるように、それぞれの谷筋の集落に山伏の
坊舎群が築かれた。
この智室谷はその内の一つであり、辺りにはその名残の石垣群があり、ここには山伏の
暮らしがあったという事、それを偲ばせるように茶碗の欠片などが転がっていたりする。

少ししみじみして、更に進むといよいよ道は細くなり、文殊窟・学問社に到着だ。

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「英彦山四九窟」の第三四窟と云われ、その名の通り文殊菩薩が祀られている。

文殊菩薩は智を司る仏として知られ、「三人寄れば文殊の知恵」と云う諺でお馴染みで、その
功徳にあやかって後世の人が、「学問神社」と云う呼び名を付けたのかも知れない。

さて、登って行こうとしたら、大きな鹿が上から出て来た!

鹿もビックリ、人間もビックリで、鹿の方がいち早く逃げて行ってくれたが、もうここで
終わりにして、来た道を戻ることにしよう。

山頂を目指さない気ままな山歩き、これも中々面白いものです。

★ つれづれに一句

  春光や 山は謎秘め 歴史秘め   yamahiko
    ・しゅんこうや やまはなぞひめ れきしひめ







posted by やまひこ at 21:20| 史跡ご案内

2018年02月26日

鷹窟、大行事社へ

2月26日(月)

伊良原ダムからまず向かったのは、岩屋河内地区にある英彦山ゆかりの鷹窟です。

くねくねと細い山道を進み林道に合流、小さな標識に導かれるようにして到着したが、この何年かの
内に、辺りはすっかり変わっておりいささかビックリ。
この後で行く伊良原大行事社と共に、6年前に勉強会で来ていてそれ以来だ。
http://hikosan.sblo.jp/article/58710378.html

英彦山から近くそれ故にいつでも来れると思っている内に、足が遠のいていたことになる。

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鷹窟を、下から見上げる。

鬱蒼とした杉林は見事になくなりカラりと明るく、ジグザグに登りやすいように歩道が整備されているが
その中に、200段ほどの苔むした石段が昔を物語るようにそのまま遺されている。

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英彦山流記(1213年)には、英彦山神領内にある四十九窟の内、第十一窟の鷹窟・・とあり
凝灰岩の断崖の下に社が鎮座し、当地では鷹窟大権現と称されている。
ここまで来ると、以前のまま霊気が充ちている。

窟というのは山中の巨岩、懸崖の裾に自然が形作った岩場を利用した山伏達の修行の場で、この鷹窟は
特に大きく訪れた人は圧倒されるだろうし、最近はパワーポイントとして注目されていると云う。

南の方向には眺望の良い場所や、「針の耳」と云われる奇岩があるので行こうとしたが、鹿よけ
ネットが2重3重に張り巡らされ、これは進入禁止なんだろうと引き返しました。

次は、伊良原大行事社へ。
大行事社とは、
話は平安時代まで遡りますが、英彦山の神領である七里四方を守護するために、四十八の大行事社が
祀られ、明治時代に高木神社と改称されました。
万物創成の神である高皇産霊神(たかみむすびのかみ)を主祭神としています。

伊良原には上社と下社があり、この度のダム建設のためにそれぞれが新築移転され、以前の古色蒼然と
した社殿の面影はなくなり、ピカピカになっていた!

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上社。

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下社。

神社仏閣は歴史を経た古色を重んじたくなり、もっと言えば有難く感じるものだが、地域住民には
心の拠り所であることに変わりはないだろうし、月日と共に景色の中に馴染み神さびてくるだろう。

犀川・伊良原地区は英彦山六峰の一座である蔵持山も聳え、英彦山との繋がりを今でも
色濃く残す山里でした。

★ つれづれに一句

  春愁や 英彦山流記を ひもとけば   yamahiko
    ・しゅんしゅうや ひこさんるきを ひもとけば





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