2017年03月09日

夜明の北山大権現へ

  3月9日(木)

いつも何気なく通っているところにも、調べてみたら英彦山にまつわる史跡があったり
するもので、今回はそういうお話です。
山国町からもらってきたガイドブックを見ていたら、日田市夜明地区には英彦山から分霊された
社がありそれは、かつて下毛郡耶馬溪一帯を治めていた中間氏一族の末裔が、子孫の繁栄を祈願した
もので、その名も「北山大権現」というらしい。

中間氏と云えば、その名を冠した「中摩殿畑山・991Ⅿ」があり山頂には、一族の英彦山信仰を
物語る祠が鎮座し、英彦山を遥拝することができる。
中摩殿畑山の記事は、こちらを。
http://hikosan.sblo.jp/article/62295789.html


〜〜〜〜この山は正確には「なかまどんのはたやま」という。地元の人もそう呼んでいるし、県の山岳連盟の
山名もそうなっている。このいわれは、仲摩殿の所領地という意味である。(中略)殿畑山の山頂には
八大竜王が祭ってある。これは雨乞いの神であり、灌漑治水の神でもある。仲摩郷の田畑を領有する
為政者にとって神々の信仰(山岳信仰)は欠かせないものであった〜〜〜〜。(山国町誌より)

とにかく、夜明の北山大権現へ行ってみよう。

・写真をクリックすると、拡大されます。

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英彦山から東峰村を抜け、夜明三叉路へ国道211号を走ると右側にその駐車場はあり、もう正面に
鳥居が見えている。
到着して驚きでした!、この道は阿蘇方面の山行の折などに、もう何十回となく通っているがこういう
所があるとは、まったく気付かずに素通りしていたという事になります。

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鳥居には北山権現宮、安政2年12月吉日と刻まれており、自然石の参道をソロリと登って行くと
もう上には何やら石窟のようなものが見えている。
こういう時は足取りも軽くではなくて一歩づつ、鬼が出るか蛇が出るか・・、という心境になる。

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登っていくと参道の右側の岩壁に掘られた穴に石像が祀られており、これは弘法大師だそうです。
石窟に通じる岩肌には、足場もあり鎖も取り付けられているので行ってみることにしましたが、覗いて
みると朽ちたような地蔵が鎮座していて、「イボ地蔵」と云うそうな。
後世に、祀られたのかもしれない。

両側の岩面にはかつては願文などが刻まれていたのだろうが、風雪で消え去ったようで今は
まったく読み取ることはできない。

更に、石段を登って行こう。

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すると岩陰に、石塔や木造の社が見えてきました。
岩肌を掘った穴には祇園社といわれる社、そのまた右には猿田彦と思われる自然石も。
更に遠くの岩上には宝篋印塔らしきものがあり、一帯が手厚く整えられたことが窺がえます。

まだ先に進むとここが北山権現様のようで、なかなか険しい場所に祀られています。
それでも真新しい注連縄と、榊が供えられていることが嬉しい。

岩を穿ちそこに英彦山から分霊された社を創建した、中間氏の末裔たち。
中間氏の始祖と伝わる六郎衛門は、中津市耶馬渓にあった一ツ戸城城主で、天正15年秀吉の
九州平定後の後、紆余曲折を経てその子孫が夜明祝原村に移り住んだと言われます。
一族の英彦山信仰を、今に伝える北山大権現でした。

★ つれづれに一句

  権現の 昔を今に 春憂ひ   yamahiko
    ・ごんげんの むかしをいまに はるうれい


本日のおまけ。

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英彦山は、椿の里でもあります。
寒の戻りもようやくおさまりそうで、これで一安心〜。




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2017年03月03日

東峰村福井の摩崖仏へ

3月3日(金)

英彦山周辺に点在している修験道遺跡、神社仏閣、それを丹念に訪ね歩く事を今年の目標の
一つにしようと思い立ち、云わば「英彦山関連遺跡探訪強化年」ですね。
それが、早くも3月になった。
その間は幾つかの英彦山の大行事社(高木神社)や、山にも登っていたが、もう寒さも雪の心配も
なくなり動きやすくなった。

という訳で今回は、東峰村福井の「次郎坊太郎坊摩崖仏」と、「小松の摩崖不動明王」の探訪です。
色々調べるとその場所は、日田彦山線の宝珠山駅から北西約700Ⅿ、線路西側の村道沿い、とあり
とにかく行ってみよう〜。

・写真をクリックすると、拡大されます。

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想像はしてはいたが、やはりここも分かり難かったですね。
いったんは道を間違え困っていると、通りかかった村人Åさんが「こっちじゃないよ、あっち・・」と
親切に地図を書いてくれて、これが実に的確でピタリと到着できた。
村道沿いに、高さ3Ⅿほどを見上げるとそれはあった。

伝承では、鎌倉時代正和年間、父の仇討を捜す山伏刀鍛冶の岩下金剛兵衛一派の
太郎・次郎の兄弟が、福井村に来て刀鍛冶に励んでいたが、そこで敵と遭遇し
敵討ちを挑み、返り討ちにあい殺された。
そこで子孫が供養のために摩崖仏を彫ったと伝えられる。
大日如来・釈迦如来・阿弥陀如来・普賢菩薩など七体の尊像を彫刻された。

山伏刀鍛冶といえば、英彦山の定秀を思い出す。
元々は学問僧であった定秀は、後の彦山鍛冶の始祖ともいわれ、四王寺滝の取り口として今では
すっかりお馴染みになった、「衣ヶ池」付近がその坊跡ではないかと伝わります。

刀鍛冶の伝承が、ここ東峰村にもあるとは。

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長年の風雪で欠けたり薄れたりしているが、思いっきり望遠で覗くと残像と梵字が遺されている。

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野の花が供えられた小さな祠と、道沿いに鎮座する猿田彦。
集落の人たちの、素朴な心持ちが伝わって来るようですね。

そこから少し南下すると、「小松の摩崖不動明王」があります。

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村道から西側の岩肌を見上げると、極彩色の不動明王が見えている。
彩色は後世にされたものだろうが、不動明王は山伏達の信仰の対象物であり、心の柱でもあった。
それがここにあるという事は、一帯が山伏の行場であったことを物語っているようです。

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釈迦堂は開けられており、かすかに線香の匂いもして朝一番に誰かの参拝があったことを
窺わせている。
今でも、地域の人たちにちゃんと守られているんだな。

近所の人が出て来られて、コンニチハ〜、何かの調査ですか〜?
イエイエ、英彦山から来ました、史跡巡りが好きなんですよ〜、熱心に写真を撮ったりしていたので
不思議に思われたようです。
聞けばこの地域は昔から英彦山信仰が篤い土地柄で、英彦山詣での人たちの行き交いも盛んだったという。
そういえば・・・日田方面から、小石原街道に通じている。

あれこれ昔の話を聞き、よかったらお茶でも飲んでいってください、どうぞ〜〜、と誘っていただき
有難いやら、恐縮するやらでした。
次の予定がありますから・・と失礼したが、地元の人から話を聞けたのが一番の収穫で嬉しかった。

東峰村福井は、昔を今に語り継ぐ穏やかな里でした。
                  (参考文献・英彦山総合調査報告書)

★ つれづれに一句

  語り継ぐ 昔むかしの うららけし   yamahiko
    ・かたりつぐ むかしむかしの うららけし




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2017年02月23日

大任町、高木神社へ

2月23日(木)

登山のおりなど、それが初回の山となるとなかなか登山口が分からなくて困った・・、などという事は
よくあることで、事前に地図やネットで確認していても現場に行くと迷ってしまう。

それは神社仏閣巡りとなると尚更で、特に観光地化されていないそれを探し当てることは、それだけに
四苦八苦してしまうものです。
今回もそうだった、添田町の隣大任町成光の高木神社。

〜〜〜〜高木神社とは
話は遡り平安時代の頃、英彦山の神領である七里四方を守護する為に、拠点が設けられ
その数四十八社、それは大行事社と称されており、明治になり高木神社と改められました。
当時は政務も取り仕切るような、地域の中心機関でもあったようです〜〜〜〜。

・写真をクリックすると、拡大されます。

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大任町と云えば、大きな「道の駅」ができて賑わいをみせているのですが、そこから遠くはない
山側に高木神社はあった。
地元の人に2回道を尋ねて、「チョット分かり難いですよ〜」と云われながらも親切に、この道を
まっすぐ行って、それからこう行って、あっちを曲がって・・・、と教えてもらいながらやっとの
思いで到着した。

神社探訪を繰り返しているというかなり神社に精通した人でも、中々見つけられないだろうと
思わせる場所でした。

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参道入り口を、振り向きます。
さて鳥居を潜り、境内へ入ってみよう。

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由来書きをお読みください。

こんなに奥まった地形に、こんなに静寂な社殿があるとは。
敷地内には須佐神社も祀られ、後ろの鎮守の森に風雪から守られているようです。

なるほど、現代の土地開発から守られるような地形や環境に、喧騒から隔離され神社が
本来持っているべき静けさを今に伝えているのだと納得です。


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大任町の高木神社は郷社としても、気品あるたたずまいを失うことなく、人の手入れが行き届いた
神社でした。

★ つれづれに一句

  春光の 中の静寂に 佇めり   yamahiko
     ・しゅんこうの なかのしじまに たたずめり


posted by やまひこ at 00:00| 史跡ご案内