2017年10月15日

おもしろき山 杉の山

 10月15日(日)

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英彦山は、杉の山でもあります。

昭和11年7月、英彦山を訪れた歌人吉井勇はこう詠んでいる。

・ 彦山はおもしろき山杉の山
      天狗棲む山むささびの山

この歌を詠んだ天狗杉は、豊前坊の参道を登ったところに聳えています。

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樹齢800年以上は経っていると伝わり、見上げてもまだ余りあるほどの威容に、誰もが立ち止まり
大きく一息つきたくなります。

山中には、鬼杉がある。

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南岳の麓には樹齢1200年の鬼杉(国天然記念物)があり、いつからこう呼ばれ始めたのかは
分からないが、北の「天狗」と南の「鬼」とは、いかにも修験道の山らしいと思う。

台風被害で倒壊してしまったが、正面登山コースには「千本杉」といわれる美林があったし、
奉幣殿境内には「泉蔵坊杉」という老杉があった。
なるほど英彦山は、吉井勇が詠んだように杉の山です。


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鷹ノ巣山の麓を津野集落の方へ少し下ると、「後家杉」がひっそりと、しかし風格を湛えている。

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後家杉は、鬼杉に次ぐ古木であろうと云われています。

その昔英彦山と下流の集落の境界として植えられたそうで、元は2本だったというが、風雪でいつしか
1本だけ残されたこれが、「後家杉」と呼ばれることになったそうな。
何かの資料では、鷹巣の一本杉と記録されているがこのゴケスギという名の方が、可笑しみがあり
親しみやすい。

まだまだ山中には人目に触れることなく、これら以上に樹齢を重ねている杉があるかもしれない。

★ つれづれに一句

  杉の名に 天狗や鬼や 秋高し   yamahiko
    ・すぎのなに てんぐやおにや あきたかし




posted by やまひこ at 11:50| 史跡ご案内

2017年03月30日

耶馬溪・古羅漢へ

3月30日(木)

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久しぶりの、耶馬溪・古羅漢です。

異様な岩稜の山容に、興味深々になりますよね。
古羅漢の景と呼ばれる景勝地で、山頂近くの岩窟には昔の堂宇が残り、霊場でもあります。

古羅漢の呼び名は、山上に羅漢様が並んでいる様相からつけられたからであり、その昔
此処にある石仏が一夜のうちに羅漢寺へ飛び移ったといわれる伝説の地でもあります。

日田耶馬英彦山国定公園の一角という事もあり、英彦山にも通じる岩質や、何よりも霊場として
同じ空気・匂いを感じるのです。
そして、英彦山から野峠を下りほんのお隣と云う距離なのが好い。

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まず、由来書きをお読みください。

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登り始めると石仏・石塔など石造物が至る所にあり、それが好きな者には応えられない
スポットでもあります。
急な石段を上ると、通り窟のようになっていて羅漢が立ち並んでいる。

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英彦山の梵字岩付近にはかつて通り窟があったというが、このような造りだったのだろうかと
想像したりする。
中央の堂宇には、室町時代作の観世音菩薩坐像が安置されているがチラリとしか見えない。
ここを進むと、下からも見えていた「天人橋」だ。

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天人橋の、アーチ越しに見た景色。

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鎖伝いの細い道を行くと、山肌に宝塔が整然と鎮まっているのが見える。
その昔豊前・豊後一帯には、「ウサ・ラカ・ヒコ・クボ」と云う言葉が伝えられていたそうな。
それは一生のうちに、宇佐神宮・羅漢寺・英彦山・求菩提山を参拝すると、後生の安泰が約束されると
いうもので、それを心のよりどころとしていたという。

人々の深い想いで、踏みしめられている道だ。

★ つれづれに一句

  春愁や 祈りの道を 行くほどに   yamahiko
    ・しゅんしゅうや いのりのみちを ゆくほどに

などなどを考えながら登り詰めた岩上に、鎮座している国東塔。

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風雪ですっかり苔むしている国東塔に、国東六郷満山を思い宇佐・英彦山・更に求菩提山との
繋がりへと想像は膨らむばかりだ。

眼下にはのどかな田園風景が広がり、ここで一休み。

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一巡りして、天人橋まで戻ってきた。

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ゲンカイツツジは例年より開花は遅いようでまだ固い蕾、シュンランも花の支度中で
落ち椿だけが彩りを見せていた。
ちょっとディープな、史跡巡りを楽しむ耶馬溪・古羅漢でした。










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2017年03月25日

日田市鶴河内の大行事社へ

3月25日(土)

英彦山の高木神社(大行事社)巡り、きょうは日田市鶴河内山田の大行事社です。

〜〜〜平安時代の頃、英彦山の神領である七里四方を守護する為に、設けられたその数四十八社、
それは大行事社と称されており、明治になり高木神社と改められました。
当時は政務も取り仕切るような、地域の中心機関でもあったようです〜〜〜

調べに調べて大体の場所は見当をつけて行ったので、迷うことなくピタリと到着しました。

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英彦山を出て、東峰村、宝珠山を抜け、日田へ向かう県道671号大鶴熊取線を行くと、下り坂になり
そこから右折した集落の中ほどにそれはあった。
山を背景にしてあまりにも景色にとけこみ、目の前に到着していながら一瞬分からずに、畑仕事を
していた村人Aさんに、「大行事社はどこですか〜?」、「あぁ、ほらそこだよ〜」。

鳥居の扁額には、まさに「大行事社」と刻まれている。

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本殿は静謐そのもので、周りには田んぼが広がっているが、まだ田起こしも始まっておらず
静かでのどかな風景だ。

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先ほどの村人Aさんが、他所からの参拝人が珍しいのか色々話してくれた。

「この神社は英彦山と深い縁があってね、昔は英彦山から山伏さんが来て、家毎に回っては
法螺貝を吹いて、それを頭にかざして(「貝伏せ」のことか?)くれてね・・・」。
おらが村の神社、として自慢げでもあるような口調に、聞いているこちらも嬉しくなる。

その英彦山から参りました、と答えると「よく来てくださった」と大いに喜ばれた。

それにしても、かつては英彦山の神領の津々浦々にまで檀家廻りがされていたことを、
地元の人から聞けたことが何よりの収穫でした。

ところで、県道の分岐点に建っていた石柱が気になりました。

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左側の方を懸命に読んでみると、どうやら道標かなと。
東西南北が頭に付いて日田市内の地名が書かれています。

東 三花村大字三和21町12間  西 朝日村大字二串28町33間
南 朝日村大字小迫15町18間  北 大鶴村大字鶴河内1里33町25間4尺
明治23年12月建設

他は読みこなすことはできないが、まさに道の基準となる地点を表しているようで、この一帯が
人や物の往来で賑わっていたことの名残のように思えるのです。

★ つれづれに一句

  読み難き 故事来歴や 春寒し   yamahiko
    ・よみがたき こじらいれきや はるさむし

本日のおまけ。

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カワラヒワ、黄色が鮮やかだ。
鳥たちも、賑やかになってくる頃。


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